日本入国緩和? 会いたい人にあいに行ける日常

日本でも10月から入国が緩和されるようですね。

  このコロナ期間に、母親が、若くして亡くなりました。帰国したくても、海外からの帰省には、高齢のお葬式に参列してくれる方たちに不安を与えたくない事、隔離期間がある事で、お葬式には間に合わないこと、それでなくても忙しい弟に迷惑をかけたくないことなどで、帰国しませんでした。

  やっと夏に入り隔離期間がなくなったので、高額のコロナ陰性証明をこちら現地で取得し念願の日本帰国を果たしました。空港につくと先週まで日本入国者全員に、空港で再検査していた名残で、空港のホールに、検査の十番をまつ椅子の行列が、ずらずらずらっとならんでいて、そのちょっと異様な雰囲気に、到着後の検査がなくなっただけでも、随分と時間短縮になったんだろうなっと感じました。

  日本入国を無事に終え、ローカルの電車、公共交通機関で移動中。前に座っている女性は、彼女の肩によりかかって寝ている見知らぬ男性を鬱陶しそうににらみつけていました。しかも日本の夏、満員電車の中は、汗だくな乗客が肩と肩をくっつけながらの移動です。なんだか普段だとありがちな日本の夏の日常ですが、全員マスクをしてのこのご時世。この状況に何だか空港の厳しい規制、私の高額の陰性証明、あきらめた母親のお葬式参列が、矛盾しているようでむなしく感じるのは、海外から帰省している私だけではないでしょう。

  私の住むカナダでは、マスクはほぼ必要ありません。でも、バスの中も、電車の中も2メートル前後左右を開けて座っています。スーパーで並ぶ時も、前後する客同士、目線で『そっちに動くよ。。』って感じで合図を送りながら、お互いに間隔を開けて生活するのが、現在のコロナ対策のマナーです。みんなマスクは、ほぼつけていません。

  紙の上では同じ条件でも、実際の状況が随分と違うもんだなって思いながらの生活でした。それぞれのお国事情があるので違って当然ですが、早く安全な気持ちで移動できるようになって、会いたい人達にあいに行ける日常を取り戻したいですよね。

インフレ 円安 そして企業努力 頑張れニッポン

   今年に入ってインフレが益々加速しています。

   先日、こちらの近所のスーパーにいって出来合いのフライドチキン買おうと思ったら、この春は10ドルだったのに15ドルに値上げされていました。ということは30%以上アップ。何もかもが、容赦なくこんな調子です。フードコートで簡単な食事をとるにも20ドル(2000円ぐらい)は必要。もちろん庶民のお給料は、まったくかわりません。

   この夏、日本に帰国した時のこと。クレジットカードの決済が簡単になっていて驚きました。ちょっと前では、空港(ちなみに伊丹空港)で、お土産を買おうと思ったらクレジットカードが使えなくてびっくりした場面がしょっちゅうだったのに、海外からくる観光客(コロナ前ですが)いかに増えたかっていうことも関係しているんでしょうか。

   お昼に、彩豊かな宝箱みたいな海鮮丼を2500円で頼んで、安くてこんなに美味しいものが食べれる日本て素敵!!って感動していると友達にお昼に2500円なんて、贅沢すぎるって戒められました。

   円安の加速と北米のちょースーパーインフレにすっかりなれている私は日本での物価が何だか、その昔、東南アジアで買い物した時にも似た感動。。。安すぎて金銭感覚がバグる感覚でした。でもこの感覚、私の友達にはわからないようです。

   これは海外在住の私にとっては、嬉しいような、ちょっと切ないような感覚。自分の国の物価のスタンダードが他の国より安いっていうのはなんだかせつない気持ちです。生産者と提供者の企業努力が、値上げを抑えているのが一番の理由だからと思うからです。私の家の近くのスーパーのように1000円のものを1300円に値上げしようものなら、消費者だけじゃなくて、スーパーもみんな悲しくなるのが日本。

日本のみんな、インフレも円安もなんとか切り抜けて頑張ってほしいです。

  頑張れニッポン!

カナダでの初めての就活

   20年以上も前の昔です。カナダに渡航する直前、私は当時、台湾に仕事で済んでいて、台湾から日本に1週間ほど帰国してから、バンクーバーにやってきました。バンクーバーに来て学校に行く予定もお金もなかったし、中国語圏よりも英語圏のほうが、仕事探しは簡単だろうと、10万ほどしか持たず、就活をする前提でやってきたのです。10万円は最初の3日で2泊のホテル代、それから住居の頭金で見事に消えていきました。日本で用意してきたものは、すぐに動けるように英語の履歴書100枚(実際に紙にコピー)、淡いピンクのブラウスです。

 

  まずは、そのピンクのブラウスでショッピングモールに行き、端から順番に履歴書を配っていきました。絶対に何とかしなくては、スタート地点に立たないという思いで、まあ、知らない土地と、たいしたことのない英語でよく頑張ったと思います。あるのはガッツだけですね。。そのかいあってかどうか、和食器にお店が定員さんを探していて、次に日からトレーニングに来てくださいと、まずは、仕事を見つけることができました。

 

   後日談ですが、この仕事1週間ほどで、ほぼ首になってしまいます。理由は、レジの打ち方がさっぱりわからなかったこと。私よりも若~い 十五、六歳のスーパー勤務経験のある彼女は見事な手さばきで打てるのに、私はもたもた。。。しかもカナダに来たばかり過ぎてコインを判別するのに時間がかかりすぎる。。0.25ドルと1ドルのコインの見分けがとっさにできす、やっぱりもたもた。。。そのさなかは、私はなんて、どんくさいんだろう、とかなり落ち込んだものです。

   

        当時は、いわゆるワーホリビジネスが今よりもさらに盛んな時期で、日本からくるほとんどの若者は、ワーホリエージェンシーが、一気に数百人をバンクーバーに連れていきているような状況でした。ま、添乗員付きのでっかいツアーみたいな感じで渡航ですね。今振り返ると、お金もサポートも、たんまりと持っている他の日本人の人たちを知りながら、がむしゃらに、孤独で頑張っていた自分に、横に行ってハグしてしてあげたい。そして、お疲れ様って声をかけてあげたい気持ちです。

 

  そして、もしかしてそれは、20年たった今も、たいして変わっていなくてまだ続いているのかもって思うと、怖くもあり、せつなくもあり。。。、一息つくのを、忘れないようにしようと思う今日この頃です。

英語習得。ばかげた話。

海外暮らし20数年が過ぎました。もちろ英語での生活が続きます。

  よく日本から来たばかりの人に “いつ頃英語ができるようになりましたか” なんて質問を受けます。この質問している時点で、英語という言語が奥深さがさっぱりわかってないなって思います。私の正直な答えは、“できるようになったなんて、思ったことはまったくない”というのが答えです。

  幼少期は、2歳ぐらいから英会話に通っていました。母親が朝ご飯の時間にはで英語の会話を毎日カセットテープで聞かせてくれました。(はい、カセットテープです。)はっきり言って成果はゼロです。覚えた単語はエレファントのみです。

  本格的に英語を覚え始めたのは中学校で英語を習い始めてからです。英語の教科書は1ページ目から丸暗記でした。のちのち自分が家庭教師をした時も、教え子に丸暗記をしてもらって、無理なく暗記していたので、中学生の柔らかい頭だとできるんですね。これが。。。

  当時、外国人講師の訪問があり、英語担当の教師が、英語でまったく話せないこと、聞けないことが、とっても見苦しくて興ざめでした。子供なりに若いうちが勝負と思い、通学の途中はずっと英語をきいていました。これは中学から大学まで続けました。今考えると生意気な子供で、まあ、先生からはやりにくい生徒だっただろうなと思います。

  大学時代はアルバイトでためたお金で毎夏休み1か月ほど英語圏に出向きました。今まで、紙とテープでしか知らない英語が本当に使って生活している空間があるんだと認識するとモチベーションが全く違いました。

   先日、取引先の会社と食事会がありました。来ていたのは日本から派遣されていた日本人女性で流暢な英語でびっくりしました。聞いてみると子供のころに海外住まいで、お父様が、商社にお勤めで、英語習得の環境づくりにご熱心だったようです。

   私は大人になってから海外に出ていますし、一般家庭で育っているので、子供の時から英語の環境で育った人、ご両親がインテリな方とはとはまったく感想が違うかもしれません。生まれ持った性格もあるでしょう。

 

  でも私の正直な感想。英語の勉強に終わりはありません。海外にいるからといって英語が上手になるわけでもありません。海外の語学学校に数か月留学して“いつ頃英語ができるようになるかな”なんてばかげた話です。

  今、自分の人生を振りかえって思うことは英語の勉強に時間なんて使わなければよかったということです。それとは別に興味の持てる、何かのエキスパートになれば、洗練せれた英語環境はついてくるからです。私の同級性でも英文科、外国語学科に進学した友達はまったく英語ができないままです。相反して、医療系、テクノロジー系などのエキスパートたちは、出張やら、転勤やらで英語ありきの生活をしています。

   はい、一生懸命 ”英語”という分野に若い時間を費やした私。まったくもってばかげたことをしたものです。(笑 笑 笑)

転職をまた考える。。。

お勤めの会社、気苦労が続く毎日です。特に新しい上司になってから憂鬱な気持ちが続いています。何だかストレスでメンタルも体もやられているようでこのままではいけない。で、またまた転職するか。。と検討中。この私、もう10回以上も転々と会社を転職しています。まあ、これは海外ではよくあることで、5年以上同じ会社のポジションにいたら、逆に、無能扱いされることも多いので、必要不可欠な転職だったと思っています。

 

しかしながら。。。現在の会社からまた他の会社に移ったとて。。勤め人の定めは同じで、もっといい方法、“人生のバックアップ” がないか日々考える独身女子です。よく言われるのは、①スキルアップするのに学校にいく。でもこれ。。。私はカナダに来てからも、たんまりすでに若い時から学校に行っていて。。。ネイティブスピーカーじゃないって、何よりのハンディキャップなんですよね。まあ、実際の会社の組織の中では、資格があってもやっぱ、たいした出世は見込めないというのは、私の悲しい本音の結論。(これはあくまで私の業界の私感です。)で、却下。

却下!

で、② パートナーをみつける、そうそうこれこれ!何だかんだで、日本人の女性でばりばり働いてる人って本当に少なくて、旦那様、実家の援助、もしくは結婚してようが、離婚してようが、生活保護で暮らしている人が多いのが現実。で、、そしてなにより悲しいかな。。私にはパートナーをみつける才能がまったくない。なので、これも却下。でなくてとりあえず保留にさして下さい。。

保留!!

ということで、結果、③ 頑張ってブログでも再開してみよう!って気持ちあらたに再開することにしました。15年以上前に仕事のプロモーションで3年のど毎週ブログを書いていましたが、その時は純粋にマーケティングが目的。この3年、コロナの影響もありいろいろと自分でできること初めてきましたが、誰か私の話に興味を持ってくれる方がいればいいな。そして、ブログ収益というものを目標に。。あ、これは2年3年後のオマケのお話ね。ブログ頑張ってみたいと思っています。ということで採用!

採用!!!

 

よろしくお願いいたします!

ストライキ。ストライキ。み~んなストライキ。

世界では日本とは比べ物にならないインフレが進んでいます

 

カナダでもあちこちの会社でストライキが発生しています。

 

 先週末、久しぶりに蓮根が手に入ったので、煮物でもしようかなと、台所の棚をチェックしたら、お料理に使う日本酒が切れている!これはいけないと近くのリカーショップに出向きました。ところが棚という棚が空っぽ。私のいつも使っている日本酒もコーナーもからっぽ。はじめはサプライヤーの問題か?船舶会社のコンテナ不足の影響か?と思ったのですが、どうやらカナダのBC州のストライキ BCGE(85,000のメンバーからなる公共、プライベートサービスのユニオン)の影響で商品が補充されていないようです。残念ながら、今回の煮物は隠し味なしでした。

 カナダは ユニオンの力が強くて 日本では信じられないぐらい長~いストライキになります。ライフラインに携わる労働者も、緊急の手術をするお医者さんも、看護師さんも関係なし。過去には市民の公共の足であるバスが、120日以上のストライキになったこともありました。

という私のお勤めする会社も、ユニオン団体が賃上げをめぐり、ただいまストライキ中。

 

これから世間はどうなっていくのか先行き恐ろしいのですが、せちがないこの世の中、毎日、働いていても、これから暮らしていけるのか不安が募るのは、私だけに限ったことではないようですね。。。

年下の上司

日本帰省からカナダに帰って休暇中の遅れを取り戻そうとリモートワークで早朝の6時から働いていた日。

昼前にMSNメッセージ。私が今日からボスだから、今日から私にリポートするように。明日から毎日、オフィイスに出社するように は??あんた誰?どうやら産休から戻って来た人がいきなり上司になったみたい。マジで、あんた誰なん??全身の血が煮えたギル怒り💢!!

常識的に考えて顔見せてから話するのが普通でしょ!顔見せるんが落とし前やろ~(ネイティブ関西弁の方思いっきり抑揚つけて!!!)